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人助けや問題解決は「パズル思考」で

こんにちは。
創ると書いてソウリョの下村知範(トモキ)です。

肩書きがなくて名乗るのに悩みます(笑)。

 

論語の中で、僕の好きな言葉を一つご紹介しましょう。

「我は賈(こ)を待つ者なり」

ご存知でしょうか?
その意味をエピソードで解説しますね。

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弟子である子貢が、
「ここに美しい玉がございます。箱にしまっておきましょうか。それとも、善き買い手を探して売りましょうか」

と尋ねたので孔子は答えました。

「売るとも、売るとも。私は善き買い手を待っているのだ」と。

美しい玉は孔子の能力の比喩で、弟子は先生の偉大さを分かっているから、君子に仕えて能力を発揮しないと勿体無いと言っているわけです。

そこで孔子は、箱にしまい込むわけではなく、自分の能力をきちんと理解した上で求めてくる人を待っているのだと返事をしました。

要は、良いものだからといってむやみやたらに売り歩いたところで、価値を理解できない人に買われてしまうのがオチ。
表に出して目につくようにさえしておけば、その真価を見極める人が必ず現れると教えているのです。

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もちろん僕には孔子みたいな能力があるわけではないし、足元にも及びませんが、得意なことはあります。

それが「パズル思考」です。

朝に散歩をしていて思いついたネーミングです。ネットで検索しても引っかからないので、流行らせたいなぁ(笑)。

 

僕は仕事、プライベートに関わらず、相談をされることがよくあります。

そんな時、課題や問題を解決するためにどうするかと作戦を練るのが好きなんです。どうにもならないことはどうにもなりませんが、「出来ること」をパズルのピースとして、どのように組み合わせたら上手くハマってクリアできるのかを考え、実践して試行錯誤します。
これがパズルで遊ぶ感覚で楽しいんですね。

幼い頃からパズルやクイズ、謎解きは好きだったのですが、決して得意な方ではありませんでした。難しいものは解けません(笑)。
難易度で言えば、「中の上」ぐらいの問題がちょうど良い。

そう捉えると、人生における悩みごと、仕事での問題などは、僕の頭では解けない複雑なパズルに比べると難易度が低くて、ほど良い「中の上ぐらいのパズル」に見えています。日曜の朝刊で出題されているようなレベルでしょうか(笑)。

そうして解決したり、解決に至らなくとも方向性が見えたりすると、相手からはとても感謝していただけるんですが、当の本人はパズルを解いて遊んでいるだけなので、相手に尽くしたつもりはありません。仕事であれば報酬をもらえますし、仕事でなくともパズルを解けた達成感を味わえるのでそれで満足。新聞や雑誌をめくっていてパズルやクイズがあるとついやってしまうでしょ? それと同じですから(笑)。

 

ところで、「他人に与えるためにまずは自分を満たしましょう」などと言って、自分の欲望を肯定する人がいますよね。それも一理ありますけど、その言葉を使う人に限って、自分に甘くて欲望や感情をコントロールできていないことが多い。だから言い訳にしか聞こえないですし、ただのあまっちょろい戯言でしかありません。

反対に、人のために行動するという美徳に縛られて自己犠牲に陥っている人も少なくありません。さらに、人の悩みや負の感情に接するような場合は、自分もマイナスをもらってどこかでガス抜きをしなくてはならなくなることもあるでしょう。それが出来なければ自分が落ち込んでしまいます。

このように、「自分のため」「人のため」のどちらに偏っても、最善ではないと考えています。

パズルを解くことは自分の達成感に他なりませんが、他人のパズルを解くということは、自分のためでも相手のためでもなく、ただ「純粋に楽しく遊ぶ」という行為だけがあると言えます。そして結果として、自分のためにも相手のためにもなっていく。

また、パズルには正や負、清濁、善悪などありませんから、それによってマイナスを受ける事もありません。毒されないゆえに吐き出す必要がないのです。良いでしょ?笑

しばしば「人の悩みに寄り添っていたら自分もしんどくなることがありませんか?」と聞かれることがあります。僕は特に相手に寄り添っているわけでもないし(笑)、ただ遊んでいるだけなので、しんどくなるわけがない。動いたら動いた分、体が遊び疲れることはあったとしても一晩寝たら元気になりますし、むしろどんどん面白くなっていって充実感が溢れてきます。

前向きな相談、後ろ向きな相談、そのどちらであろうと、ちょうど良いパズルであって、僕にとっては魅力的なオモチャなんです。

「我は賈を待つ者なり」という教えに沿って風呂敷を広げて待っていると、僕の能力を買ってくれる人が現れる。それどころか、その人は魅力的なオモチャをプレゼントしてくれるんですよ。
そりゃもう感謝しかないですし、自分の生きる意義を実感させてくれます。

自分の問題も、他人の問題も、程よいレベルのパズルと捉え、今ある情報を整理して、特定の要素を組み合わせて結びつける。これはデザインを作るとき、資料をまとめるとき、何か行動を起こすとき、いかなる場面でもそうやって思考していることに、この記事を書きながら気付かされました。

良い悪いの判断をせずに純粋に自分に合ったレベルのパズルを楽しむ。目の前に表れるパズルは全て自分のレベルに合ったちょうど良い難易度。

これを「パズル思考」と名づけました。

では、楽しく遊んで有意義に過ごして参りましょう。

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