こんにちは。
最近、中国語の勉強にハマっている下村知範です。
漢詩をもっと味わいたいという願望に端を発し、また比較言語学について勉強しているうちに語学自体にも興味が湧いてきたこともあって、簡単な会話ぐらいはできたらと思い勉強を始めました。こんなに情報が溢れている世の中であれば、独学でも語学の勉強はある程度できるはずと踏んで、独学で何ヶ国語喋れるようになるのか実験中です(笑)。
英語と中国語、ドイツ語の勉強を始めたのですが、あれこれ手を出しすぎると中途半端になってしまうため、今は馴染みの深い漢字が特に面白いこともあり、まずは中国語に力を入れているところです。一年後、どのくらい成長できているのか楽しみです。
さて、ぼくは「人生は呼吸である」と考えています。
「さあ、まずは深呼吸をしてみましょう!」
鼻から大きく吸って、それから息を吐きませんでしたか?
僕はその順番、逆だと思っているんですよね。まず吐くことから始めるのが正しい順序です。「呼吸」という字から見ても、「呼」すなわち「吐く息」が先にあります。
呼吸について考えるようになったキッカケは、小さい頃から二十代半ばまで持病の喘息に悩まされていたことにあります。発作が起きると呼吸がスムーズに出来ず非常にしんどくなります。特に息が吸えなくて辛いのですが、そんなとき、息を吸うことよりも吐くことに力を入れると、吸う息が自然と入ってきて少しは呼吸が楽になるのです。
人間、吸うことには力が入らず、吐くときにこそ力が込められるのだと得心しました。
スポーツや武道でも、力を込めるときには息を吐き、あるいは声に出しますよね。息を吸いながらサッカーのシュートや正拳突きで力を発揮できる人はいません。
つまり、内へ向けてではなく外へ向けて力を発揮できるような構造になっており、これはすべての生物に共通する本質でもあると思います。自然界のものは外側へ力を発揮することで繁殖し、子孫を残してきました。細胞分裂、植物の花や実、動物の行動、みんな外側へ向けて力を発揮し、結果として自分が得られる仕組みになっているのです。
ですから、得よう得ようと自分の内側へばかり意識を向けていると呼吸困難になってしまうわけです。「我の利」ばかりを追い求めると文字通り「ガリガリ(我利我利)」になってしまう。「他の利」へ意識を向けることで、自分のことは自然と「足り(他利)」てくるものなのです。
また、人間の命は「吐く」ことから始まっています。
赤ちゃんがお腹の中から出てきて産声をあげるとき、まず吐きます。その前に空気を吸う必要があるのですが、生まれた瞬間は息を吐いて鼻や口に溜まっている羊水を吐き出します。それから息を吸って産声をあげるのです。
自分の子供が産まれるとき、産婦人科で看護師の方に「どのように赤ちゃんを迎えたいですか?」と聞かれ、そんなの分からないので「生まれた瞬間に産声をあげるために息を吸う前、羊水をどのように吐き出すのか確認をしたいです」と答えました(笑)。笑われましたが、出産に立ち会ったとき、確かにこの目で確認することができました。考えた通り、人間の命はやはり「吐く」から始まったのです。
一方、死ぬときのことを「息を引き取る」と言います。人は死ぬ間際、そよ風が肺に入っていくようにスーッと息を吸って終えるのです。これは、臨終に立ち会った知人数人からも確認したと報告を受けているので間違いないでしょう。ただし、事故や病気で急死した際にはその限りではありません。
このように、人生は「吐く」に始まり、「吸う」で終えるのです。その順序が重要で、必ず「吐く=外向きの力=アウトプット」が先であることを忘れてはいけません。
ところで、僕は毎月、お寺で法要と勉強会をやっています。
ちなみに今月はこんな感じでした。
7月の勉強会の内容を見る⇀
勉強会は僕にとって良きアウトプットの場であり、それが毎月8日にあることで1ヶ月間の出来事はすべてアウトプットのためのインプット期間になっています。すると、どんなことでも身につくのが早いだけでなく、起こること全てが「ネタ」と化し、無難な日常を送るよりもトラブルがあった方が味があって面白く感じられるのです(笑)。
人生を通していかにネタをストックできるか。アウトプット前提で日々を過ごせば、全部まるごと楽しい出来事に一変します。
今はブログやYouTube、SNSなど、アウトプットできる機会が身近にいくらでもありますから、定期的なアウトプットの場を持つことをオススメします。人に教える前提で学習するのが一番効果が高いと言われている通りですね。