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40cm違いの運命

こんにちは、KYOEN代表理事の林田です。
私が今ここにいる幸運を聞いてください。

私の父は78年前の昭和20年8月9日、長崎で被爆しました。

大正15年生まれの父は、当時20歳。

同世代の若者が戦地へ駆り出されている中、父は肋膜を患っていたため徴兵検査は丙種合格。
※丙種合格:身体上極めて欠陥の多い者で現役には適さない(ウィキペディア)

肋膜の治療のため病院通いをしており、8月9日の朝は長崎市内の病院の待合室にいました。

原爆が落ちたその瞬間、窓際に立っていた父は爆風で吹き飛ばされ気を失います。

気が付くとさっきまで立っていたところは天井が崩れがれきの山。
立つ位置が40cm横にずれていたら吹き飛ばされることなく下敷きになっていました。
身体にはガラスの破片が無数に刺さっていたという事です。

でも父の命は助かりました。

地獄絵図の中を諫早に向かう列車が動いている駅まで歩いたそうです。
その日のそれ以上の詳しい事は私は話を聞いていません。
どんな思いで歩いていたのか…今となっては知る由もありません。

しかし父は生きて帰りました。

もし、その瞬間に40cm内側にいたら父は助からなかった。
そして、私もここにいません。

『塞翁が馬』を地で行くようなこの事実を思い出すたびに、自分がわずか40cmの奇跡で生かされているという事実を深く考えます。

一方で、健康であったゆえに戦地に赴いた若者が多数いました。
そして多くの人々の命が奪われました。
この事実は決して忘れてはいけません。

78回目の終戦の日を迎え、自分が今生かされている幸せを感じるとともに、戦争のない平和な世界の実現にむけて自分ができることは何かを考えました。

平和のタネをまき散らす悠々たる水の流れです

これは私のアファーメーションフレーズ(人生のコンセプト)です。
穏やかな日常から国際親善までのあらゆる平和は良好な人間関係からもたらされます。

良好な人間関係を築くためのコミュニケーションを探求し、人に伝えていく

自分の使命として、コミュニケーションコーチという仕事を通して平和のタネまきをしていきたいと思っています。

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