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入社式・入学式の研修

みんさまこんにちは。
足立明美です。

久々のブログです。

 

4月に入り、和歌山鷺ノ森幼稚園、社会福祉法人八起会で新人職員、京都看護大学のぴかぴかの大学一年生に大人の第一歩の研修を行ってまいりました。

 

幼稚園では、毎年4月1日に新人だけでなく
先輩の先生方と園送迎バスの運転手さん補助の方、事務職員と園に係る全員が参加し「保護者さんに対する接し方や電話応対、職員間のコミュニケーション」

 

介護施設では、入社式から2日目
「対人援助に必要なマナーとコミュニケーション」
毎年八起会では大きな生花を用意し歓迎の気持ちを表現されています。素敵です。

 

看護大学では、入学式から3日目のオリエンテーションで
「看護師になる前に、人として大切にしてほしいこと」
108名の学生たちが素直に真剣に、講義に耳を傾けてくれる姿に私自身も元気をもらいました。

 

 

学生時代をほぼコロナ禍で過ごしてきた新人たちは、
社会人としてのワクワク感よりも
コミュニケーションについての不安を感じている人が多い中、
それぞれの職種を考慮した内容で、
スムーズに職場に馴染めますようにという
親ごころいっぱいで臨みました。

早紀ちゃんからの贈り物

こんにちは。
KYOEN代表理事の 林田尚之です。

先月3月21日に私の故郷、諫早に一時帰省してきました。
母、春恵の95歳の誕生日を祝うためです。
春分の日に生まれたので、春の恵みと書いて春恵です。
おかげさまでとても元気に暮らしています。

私は4人兄弟の末っ子なのですが、他の3人は長崎県内に住んでいます。
兄が同居、上の姉は車で10分くらいの場所、下の姉は少し離れた所ですが、いつでも行き来ができる距離です。

おかげで遠く離れた私も安心できるので本当にありがたいのです。
特に兄は、週3回、母をプールに連れて行ってくれていますし、常に様子を見ていてくれています。
兄・姉には心から感謝をしています。

今回は95歳の節目ということで、5年ぶりの春恵まつりでした。
私たち兄弟が4人、孫8人、ひ孫が10人、そのほとんどが集合しました。
とても楽しい集まりでした。

母は、今でもお墓参りの日課を欠かしません。
少々の雨なら行っています。
途中に結構な坂道があるのですが、杖を突きながら、往復約3000歩の距離を毎朝歩きます。

この毎朝の墓参り、実は30年前から続いています。

年間、350回としてもうすでに1万回以上、お墓に通っているのです。
強い意志を持って歩いています。

お墓に毎日参るようになったきっかけは、孫の存在でした。

姉の子、つまり私の姪っ子に体が不自由な早紀(さき)ちゃんという女の子がいました。
首がなかなか座らずずっと眠っている、そんな女の子でした。
原因が特定できず、治療もままならない…
もちろん、姉夫婦は早紀ちゃんを助けたいといろんな病院に行きましたが、なかなか目を開けようとしませんでした。
ありとあらゆる方法も試したようです。
でも、まだ首が座りません。

母は孫のそんな姿を見て祈ることを始めました。
それが毎朝、ご先祖様にお参りをするという習慣になったのです。
その時、母は60過ぎ、今の私の年齢くらいです。
家の仏壇ではお経を唱え、お墓では、子供・孫・ひ孫の名前を唱えてその健康を祈ってくれています。

結局、早紀ちゃんはあまりにはやく旅立ちました。
しかし、母の毎日のお墓参りの習慣は残りました。

母が元気でいてくれているのは、毎朝の3000歩歩く墓参りの習慣のおかげなのは間違いありません。
その習慣は、早紀ちゃんのおかげで始まりました。

早紀ちゃんはとても短い人生だったけれど、私たちに残してくれたものはとても大きく、それはずっと続いているのです。
そう、母の元気は、早紀ちゃんからの贈り物なのです。

ありがとうね、早紀ちゃん。

 

笑顔のお手伝い

こんにちは。KYOEN講師の川北です。

 

私たちは毎日、幾通りもの役割をこなして生きています。

 

職業人としての役割-上司として部下として、先輩として後輩として。

 

家庭内での役割―親として子どもとして、兄妹として。

 

その他、地域での役割、仲間内での役割等など。

 

人生の時々で各役割の比重も変わりますが、

良くも悪くもそれぞれが互いに影響を与え合っています。

 

職場でのイライラをつい家庭に持ち込んでしまったり、

家庭での心配事が職場でも頭から離れなかったり、、、。

 

それぞれがネガティブな影響を及ぼし合うのではなく、

互いにポジティブな影響を与え合うよう

どの役割においてもご機嫌さんでいたいものです。

 

KYOENでは心理学の一つである交流分析(Transactional Analysis=TA)を用いて

自己理解を深め他者との交流を見直す という研修コンテンツがあります。

職場での人間関係や顧客との信頼関係構築、指導育成等にも広く活用できる内容です。

 

自分を見つめ直し受容することは、

自分の内面を整え、他者との関係を見直す上でも非常に効果的です。

 

現在、「社会福祉法人 八起会」様にて、

交流分析を活用した「子育ち支援講座」を実施させていただいています。

子育て中の職員の方を対象に、親として子どもとの向き合い方や

パートナーとの向き合い方=家庭人としての自分を見つめ直す内容です。

 

家庭での笑顔が職場に広がり地域に広がる。

そして、社会全体に広がっていく。

 

そんな好循環が生まれるよう

一人でも多くの方がそれぞれの役割をご機嫌さんで過ごせる

笑顔のお手伝いができればと思っています。

「あるべきようわ」の七字を保つべし

こんにちは。下村 知範(ともき)です。

だいぶブームは過ぎ去った気がしますが、
「ありのまま」という言葉が、某映画の影響もあって
大流行していたのは記憶に新しいですよね。

タイトルは伏せてイニシャルにしておきますが
『Aナと雪の女王』の公開は2013年、2は2019年。
もうそんなに経ったんですか……。
時間の流れの早いこと。

そんな「ありのまま」という言葉が
言い訳のように使われている場面があって釈然としません。

例えば、とてもだらしのない人に対して
「いいのよ。あなたらしく、ありのままで」
と声をかけているような場面。

ダメな部分をも肯定してしまって
「言い訳」と「ありのまま」がごちゃ混ぜです。

「あなたらしく」「ありのままで」などの言葉は、
聞こえが良いだけにそれを逆手にとって
未熟さを是認して努力を怠ったり、
自分を律することの出来ない場合の言い訳になっていたり、
本来の意味とはズレた解釈をして
都合良く使われていることがよくあります。

 

そこで、僕が敬愛している明恵(みょうえ)上人という
鎌倉時代の僧侶を紹介したいと思います。

明恵は、僧侶としてのあり方を問い直し、
厳格にお釈迦様の純粋なる教えを追求した人です。

出しゃばることが嫌いであったため、あまり表には出ず
鎌倉仏教で有名な法然や親鸞、道元、栄西、一遍、日蓮は
教科書にも出てきて有名ですが、明恵はあまり知られていません。
ところが、他の僧や社会との関わりは少ないわけではなく
法然のことを強く批判する本を出版したこともありました。

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公、北条義時。
その子である泰時は、六波羅探題の在任中に、
明恵が住職を務めていた高山寺へ何度も足を運び、
その教えを受けていました。
御成敗式目には聡明なる泰時の考えだけでなく、
根底には明恵の思想が流れているのかもしれません。

京都の高雄にある神護寺は有名ですが、
その隣に位置する高山寺もなかなか良いですよ。
近くに行くことがあれば、立ち寄ってみることをオススメします。

そんな明恵が、弟子たちに次のような言葉を残していました。
無論、泰時にも話していたことでしょう。

「人は阿留辺畿夜宇和と云う七文字を持(たも)つべきなり。
僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。
乃至、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。
此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり。」
(『栂尾明恵上人遺訓』より)

「阿留辺畿夜宇和」は「あるべきようわ」と読みます。
いわゆる万葉仮名ですね。
現代で言えば、ヤンキー用語の「ヨロシク=夜露死苦」のようなものです。
その七文字だけを万葉仮名にした理由は定かではありませんが、
強調したかったことには間違い無いでしょう。

「ありのままに」は、現状を受け入れ肯定しているのに対し
「あるべきようは?」とは、本来あるべき理想像を問いかけ
「そのものらしさ」を大切にして道を進むことを教えています。
そうでないと、すべて悪い方へ向かうと言っているわけです。

明恵上人には他にも様々な逸話があって大変おもしろいのですが、
その中でも特に有名な「あるべきようは?」の教えをご紹介しました。
興味のある方は、ぜひ他にも調べてみてください。

「あるべきようわ」の七文字は、
僕も座右の銘にして、常に自分自身を戒め
本来あるべき理想の姿を問いかけるようにしています。

そうやって世の中の物事を観ていくと本質を捉えることができて、
徐々に真実の世界が見えてくるかもしれませんね。

いただきますに5秒をかける…

こんにちは!
OKなお こと林田尚之です。

3年前に出会ったメンターがいます。
そのメンターからいろいろな習慣を教わりましたが、定着した習慣もあればなかなか続かないものもあります。

そんな私でも定着した習慣で、お薦めの習慣をご紹介します。
今年の年賀状でもご紹介しました。

それは
「いただきますに5秒をかける」
です。

いい習慣を身につける上で、回数が多いことや時間が長いコトが自分の人生に与えるインパクトは強いといわれています。
いただきますは食事の度に行う行為ですから、これを習慣化できたことは私にとって大きいものでした。

小学生の時の給食やお弁当の時間、全員で手を合わせていただきますと言いましたよね。
それがいつの間にか大人になってやらなくなった。
でも、この行動を改めてやってみると、とても良いものなのです。

感謝することが大きくは3つ、それを5秒かけて思いを馳せます。

まず、ひとつ目。
食材そのものに対して、動物であれ植物であれ、あなたの命をいただきます、という感謝。

つぎに、それを育て収穫してくれた農家や畜産業の方、それら食材を運んでくれた方やそれを販売してくれた方々、そして料理を準備してくれた人への感謝。

そして、3つ目。
美味しく食べられる自分の身体・健康と、ゆっくりと食事がとれるこの環境にも感謝します。
歯が痛いとおいしく食べられませんし、そもそも体調が悪いと味わうこともできません。
美味しく食べられるのは、自分の身体が健康であるおかげですよね。

わずか5秒ですが、実際に手を合わせると意外と長いです。
毎回やる事で、感謝するという行為が習慣化されます。

そうすると、普段から、素直な気持ちでありがとう!と言えるようになります。

外で食事をする時もモチロン手を合わせます。
すると同席した方は、チョッとビックリされます。
それがまた、面白かったりします。

形から入ってもいいと思います。
みなさんもやってみてはいかがでしょう?

「いただきますに5秒をかける」
すぐに始められるお薦めの習慣です。

今年の1月に立てた目標、覚えてますか?

こんにちは。下村知範です。

あっという間に12月ですね。この時期、みんなそう言います(笑)

年始になったら多くに人がその年の目標なんかを決めたりしますが、
大抵の人は春が来る頃にはもう忘れてるんじゃないかと思います。

今年に目標立てた人は目標を覚えてますか?

達成してますか?

「できてなかったから来年頑張ろう!」

・・・なんて思ってるんじゃないですか?

僕は昔はそうでした(笑)

 

今年は1月にKYOENのメンバーで初詣に行って
ダルマに今年の目標を書いたんですよね。

毎日できたかどうか判断できる内容にしたので
達磨の裏側に「正」の字で昨日達成できたかどうかをチェックすることにして…

なんとか毎日達成し続けて、もうすぐ正の字も365に。

厳密に言えば、つけ忘れたりした日があって後でまとめてチェックしたこともあるのですが、目標はしっかり毎日達成しました。

さらに今年のテーマは「当意即妙」と決めていて
その場で機転をきかした判断や対応をすることを意識した日々でした。

なかなかそうはならない場面もあったりして反省はあります…

それでも一つ何か自分自身ができるようになったり、成長すると
また別の至らなさが見えてくるものです。

今年はよく嫁にイライラした1年だったなと反省しています(笑)

ですから、もう今から気をつけているわけなんですが

「一言一行」

来年は、ひとつひとつの言動や行動に気を付けることをテーマに過ごそうと思っています。

 

話を戻しまして
「あれやります!これやります!」
と、目標やマニフェストだけ体裁の良いことばかり掲げて
実際はどうだったのか? 結果はどうだったのか?
その結果を通して、次はどうするのか?
そういう振り返りが苦手な人は多いのかなと感じます。

某国の政治家はやったことを振り返る気配はまったく無いうえに
政府はコロナ対策でも何でもやるだけやりっぱなしで検証を全くしません。

それでは前に進みませんし、いつまでも行き当たりばったり。

そんな国柄が人にまで影響を及ぼしているのか、そういう人柄が国をつくっているのか分かりませんが、PDCAって言葉の一人歩き感は否めません。

立てたならば、目標はきちんと振り返って次へ活かすべきですし
それができないなら立てる意味も必要もないでしょう。

また、夢や目標は書いたら実現する、達成するとか
言葉にすれば夢が叶うとか、斎藤H人さんとかがよく言ってそうですが
形だけやっても意味がないことは言うまでもありません。

要は意識の問題で、書かなくても言わなくても固く決意していれば
夢の実現も、目標の達成も当たり前にできるものだと思います。

それと、達成も未達成もその人の習慣だと僕は捉えています。

立てたことを「やり遂げる習慣」か、立てて「立てっぱなしにする習慣」か
どちらの習慣か?

言って言いっぱなしの人を見ると
「あー、また言ってるな…でもどうせまた口だけやろな〜」
と思いますし

口にしたことを必ず実行したり、失敗してもしっかりと反省したりする人は
「この人が言ってるんやからきっと実現するんやろな〜」
と思います。

どっちが悪いでも良いでもないけど、自分がどうありたいかですよね。

あなたはどっちでしょうか?

年賀状は万年筆で書く

今年も残すところあと3週間。
設定した目標は達成しましたか?
あるいは、達成しそうでしょうか?

目標には、「達成目標」と「行動目標」があります。
私の今年の「行動目標」は『言葉を大切にする』でした。
年賀状にはこう書きました。

≫体は食べたものでつくられる
≫心は聞いた言葉でつくられる
≫未来は話した言葉でつくられる
≫良い言葉 良い感情を大切にして生きる
≫そんな2022年にしたいと思います

汚い言葉やきつい言葉を避けて言葉を選んでいくと
気持ちが穏やかになります。
そして、耳から聞こえる言葉や読む文章も選ぶことができるのです。
それを続けていくとストレスからは遠ざかることができます。

そんな言葉の大切さを実感した年でもありました。
年賀状に書いたことで意識を強く持つことができました。
つまり、今年の「行動目標」は達成できたと思います。

年賀状に自分の目標を書くことで、ヘルシーなプレッシャーを自分に課して
行動に繋げるという効果が期待できます。
自分の意志の力だけに頼らずひろく宣言する。

さあ来年はどんな目標にしようか…と思いを巡らしています。
みなさんはどんな目標をたてられますか?

そして、私は年賀状は万年筆で書きます。
新しいインクの書き心地を、万年筆または郵便局のCM風に撮ってみました。

https://youtu.be/4kTh9rWeBKQ

人生100年を楽しむため

一般社団法人KYOENの足立明美です。
今週のハッピーなお話から

先日、長男一家の棟上げがありました。

工事関係者が25名程、
「さて3時のおやつは何をしたらいいものか?」

お嫁ちゃんのアイデアで、
5歳と7歳の子どもたちの「大工さんへ感謝の気持ち」を伝える絵とメッセージをつけて、
段ボールにいっぱいのおやつを用意しました。

翌日、現場に様子を見に行った時の話です。

大工さんから
「お子さんからの感謝の気持ちを表した絵入りメッセージ、なんかグッときました。」
と、とてもにこやかな表情でお話しされて、
それを聞いていた私は、もっと「グッと」きました。

さて、
人生100年を楽しむために、みなさんは様々な工夫をされていることと思います。

そこで…どれだけ楽しく、無理なく働き続けるかを考え
今日の午後からは、仕事スト!!の日にしました。オフではなくストです。
仕事の思考を強制終了させて、ひたすら家事に専念。

いつも出来ていないところの掃除と、昨日届いた電気圧力鍋料理に挑戦。

「部屋はスッキリ!!」「料理は何をつくろうかと試行錯誤。これがまた楽しい!! 」
で…3日分くらいのメニューができました。

家事で気分転換。そして私の仕事「脳」は、きわめて健康になりました。
さっ、明日からまた頑張ろう!!っと。

「仕事もプライベートもバランスよく」で
健康と柔軟な脳を維持し「人生100年」を楽しみましょう!!

師走

初めまして。一般社団法人KYOEN、講師の川北麻紀と申します。

 

早いもので、今年もあと数日で師走です。

 

 冬の朝。吐く息が白いほど冷え込む日、

決まって母から掛けられた言葉があります。

 

「いってらしゃい。寒いからこけたら痛いよ~。気をつけや~」

 

「うん、わかってる~。行ってきまーす!」

と元気良く返した日に限って膝に擦り傷をつくって帰るのでした。

 

ちょうど1か月ほど前、そんな子どもの頃のやり取りを思い起こす出来事が…。

KYOENのミーティングへ向かう道すがら大転倒。

「あぁ、またやってしまった…」膝の傷を見ながら

「気をつけや~」という母の声が頭の中にこだましました。

 

師走に入ると何となく気忙しく身も心も走りがちですが、

そんな時こそゆっくり・じっくり・走らず・慌てず・(転ばず!)

一つひとつのことに丁寧に向き合っていきたいと思います。

分を辨える

こんにちは。
KYOEN理事の下村知範(ともき)と申します。

ホームページには初登場なので少し自己紹介をさせてください。

クリエイターとして、主な仕事は印刷物やWEBなどのデザイン制作。
そこから派生してマーケティングのセミナーや研修に始まり、小さなお店や企業のコンサルティング、社員研修、個人コーチングなどもしています。

3年ほど前から、お寺で月に一度の勉強会を主催しており、法要をすることもあります。
昨年、成り行きで得度して僧侶にもなりました。


真面目にふざけています。笑

また、畑を耕して野菜を育てつつ、漬物や梅干し、味噌づくりなど、日々の食事に手作りのものを少しでも取り入れられるように奮闘中。

周りの人からは「一体何をしているの?」と言われて困るのですが、昔ながらのアナログな農耕的暮らしと、デジタル技術の良さを調和させて、心地の良い生き方を実践、実感しているところです。

先日、テレビ朝日のニュース番組にて、尊敬する師と共に僕のことも少し取り上げていただきました。
https://youtu.be/DlA_36bOBF4
(テレビ放送と同じ内容のyoutube)

KYOENではコンセプトやロゴ創り、ときどき研修や大学講義にも登壇させていただいております。

 

さて、タイトルの「分を辨(わきま)える」という言葉。

「出しゃばったマネをするな!」とか「立場を考えろ!」などと罵るような意味で使われますよね。

しかし本来は、日本人が古くから大切にしていた重要な考え方。

分際の「分」、身分の「分」、自分の「分」、その人の性質を表した「本分」です。

「個性」「自分らしさ」と言い換えても良いでしょう。

分不相応なことに手を出したり、背伸びをしたり、あるいは謙遜し過ぎたりすると、次第に歯車が狂っておかしくなっていくため、過不足のない「らしさ」を僕は大切にしています。

植物には植物の、動物には動物の、人間には人間の、そして自分には自分の「分」があるわけです。

ですから、金儲けだけに走ったり、見栄を張った行動をとったりしていると必ずどこかでつまづきがありました。

誰かに憧れたとしても自分は他人にはなれません。

「個性を研ぎ澄ましていくこと」と概ね同じ意味で、ギリシャ哲学に「アレテー(徳)」という言葉があります。

アリストテレスの『二コマコス倫理学』によれば、アレテーに即した活動が究極の幸福へ繋がっていくとのこと。
僕もそう思います。

人は植物や他の動物はおろか、他者にはなれません。
人間らしく、自分らしくあることが肝要ですね。

自分らしさを発揮して、自分にしかできないことに専念する。
そうやって生きていくことができれば、活動する一瞬一瞬、「今ここ」において充実感が溢れ、きっと幸福を実感することができるでしょう。

自分を自分たらしめる本分。
個性が進みたがっている方向を妨げてはなりません。

そのために、欲望にはちょっと引っ込んでもらって、純粋な魂の声に「心の耳」を傾ける必要があります。

ところが、邪魔が入るんですよね。
世の中は欲望を満たそうとする魅惑に溢れていますから。

かのブッダが瞑想をしていたとき、悪魔マーラがあの手この手で妨害してくるかの如く
「○○が儲かる、安定する」
「△△なら楽ができる」
「□□をするとモテる」
・・・・・・といった悪魔の囁き声が大きくなって、心が揺らいでしまうのが人間というもの。
誘惑の多い現代で、純粋な魂の声を聞くのは至極困難です。

そこで、選択肢がある場面や、物事を進めるかどうかの判断をする際、僕は常にこう問いかけています。

「心の底から純粋にワクワクしているか?」

「●●だからやりたい」といった理由のない、純粋に下心なく「やりたいからやりたい」ことをするんです。

これによって採算度外視ですべて決めていくわけですから、経済的な赤字や、大変な苦労をすることもありますが、結果として良かったと思える経験に必ず繋がっています。

また、そのプロセスに幸せを感じるわけなのでそれで良いんです。

ワクワクの発見が、自分の「分」を知ることに繋がり、欲望に傾かないよう己を律する、即ち「辨える」ことで、社会における役割を全うすることができる。
これこそ天から与えられた使命を生きる道なのではないでしょうか。

分を弁えた人が、それぞれの才能を存分に発揮し、同じ理念に共感する集団となれば、相乗効果によってさらに価値が高まる組織になっていきます。

一人一人が主役となって多才な個性が発露する共同体。
シェイクスピアが残した「人生は芝居である」という言葉を借りるなら、今日を大切にした上で様々な人と関わり合って共演する劇団。
アーサー王と騎士達さながら、上下関係なく円卓を囲み、卓越された色とりどりのおもてなし。
そのような饗宴の場を創造していくのがKYOENなのです。

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